薪積みの季節の心境
死ぬまで薪ストーブ生活になるとは夢にも思わなかった。
主人は癌や糖尿、腎臓の持病を持っているのに、そのことは横において遣りたい趣味のこと、こだわの食べたいものへの執念がとても強い。
薪の代わりに製材所の樫木の角材をトラックで届けてもらった。
様々な形やサイズの角材をあたかもパズルをするように、綺麗にきちんと積むことが楽しみだそう。
いまは、うちの人の自由時間を薪積みに充当している。
夫婦とは長い間にはお互いに影響を受けあうから私は何とも言い難いけれど、、
私はあなたのお好きなようにと言うよりほかはない。
全て自分の思うようにしないと気が済まないうちの人。
持病がたくさんあるのにその姿を見るのは嫌なようで、息子夫婦は気がかりであることが、私にはひしひしと伝わってくる。
「手伝って、ああだのこうだのと言われるのが嫌だから手伝わない方がいい」と家族は以前から割り切り避けている。
本人の大好きなライフスタイルだから本人のお好きなようにです。
夫婦であっても価値観が違うし。
ましては価値観の違う若い者に、価値観が同じになんてなるわけがない、世代間のはざまで私は悩みながらも納得する。
毎年薪積みの時期が来ると平穏そうな「薪ストーブ生活」は、私のこころは穏やかではない。
私は5月3日の日記に「合理的な生活を」と綴ったけれども、高齢の身なのに生活はすこしも合理的ではないとふとその日の日記を訂正したくなった。
私は悩ましい。
しかし、道行くみなさんは「雑木の庭に薪」の景観はすごく癒されると眺めながら通られる。
今日も朝からせっせと樫木の角材を積んでいる主人。
私は彼の好む食事を用意する。
(2021.05.24月曜日 09:48記す)