外孫を想う
21世紀になってまもなく ‘20年10月に生まれた外孫令君が成人に達した。
いまは東京の大学2年の終わりに近づいている。
先日、成人のお祝いをしてあげた。
近況を訪ねると、オンライン授業で大学には行っていないという、外出は2日間は自室にいて、3日目にスーパーに行く程度だという。
明るい外孫だが、声のトーンが落ちていた。
いつも前向きな母親(長女)に伝えると「あぁ~そう大丈夫でしょう」と言っている。
打たれ強い令君だから大丈夫かなと、私は自分自身に言い聞かせる。
しばらくしてから令君に「何か送ってあげようか」とラインする。
お米がなくなりそうなんだよな~
それからとわたし
青い野菜!
遠慮しないでね、それから
いちご!
昨日は、りんご箱にコシヒカリ10㌔、苺、地場産ほうれん草、小松菜、女池菜、若者だからズッキーニやマッシュルームなど使うかしらと見繕って梱包し送ってあげた。
今日届く予定。
20年前のいまごろ、手足を盛んに動かし無心に笑っていた外孫をあやしながら、この子のうえに幸あらんことをこころから願ったものだった。
ところが、思ってもみなかった100年に一度という感染症が世界中を襲っている。
令君だけではない、人類は試されているといってもよいだろう。
これからの世代を担う若者たちに、試練をのりこえ素晴らしい時代を作り上げて欲しいと、高齢の私は願わずにはいられない。
今日もまた国会中継をみている高齢者のひとり、いまの世を作った大人の責任は非常に大きいし、有権者のひとりとして、子供たちに申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
野鳥が食べてしまった「プチヴェール」。
雪の下から顔をだした「ステイックセニョール」。
こちらでは普通にみられる新鮮なお野菜、都会では手に入らないのだろうと、ふと東京にいる外孫に思いを馳せた。
(2021.01.27 9:10 記す)