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義父母の祥月命日

2018年11月17日 最近思うこと [RSS][XML]

相性がとってもよかった、義父、義母は祥月命日が同じく11月17日である。
姑は腎臓が悪いうえに高血圧などの症状があり、若いころから身体は余り丈夫とは言えなかった。
60歳ころから人工透析を受けていた。
明るく世話好きで気が利くうえ、お料理上手なひとだった。
時として、舅を世話をし過ぎてしまうこともたびたびあった。(今の時代では考えられないが・・)
「俺は幼稚園の子供じゃないんだから」とよく言われていた。
その頃、共働きの女性は、仕事以外に家事を当然のようにこなしていた。
舅は見かねて洗濯、部屋の掃除、お風呂の掃除など手伝っていたことなどもあったようだ。
平成5年11月17日くも膜下出血で、入院2週間後75歳で亡くなった。
なくなる2~3日前に、どちらかと言えば、病気がちな人生を送った姑は「お陰さまで思ったより長生きできた」と私に言い残こしていた。
舅は妻の亡骸に添い寝をし、納棺の時には「元気でいれよ」と顔をなで頬を寄せた。
2歳上の舅は身体は丈夫であったが。
覚悟はしていたこととは思うが、妻を亡くした舅の喪失感は大きかった。
姑が入院していた思いでの病院へと、毎日まいにち自転車で30分程かけ通った。
病室が見えるところへ着くと、自転車を止め病室に向かって手を合わせていた。
それが舅の日課となった。
ポツンと残された舅を気づかい、車の免許取りたてだった私は、時々車で気の置けない友人宅のお茶に連れ出した。
温厚で実直な人柄で、世間では仏人間と言われていた。
同居の嫁である私は、お陰さまで舅のことで嫌な思いをしたことは殆どなかった。
私は舅に恵まれたと思った。
困った時には相談もしていた。
私のその後、人生を生きる上でとくに岐路に立った時、ふと舅だったらどう助言してくれるだろうかと思ったものだ。

元来お酒の好きな人であった。
妻に先立たれた淋しさから酒量が増えていった。
私の人生でその頃が一番辛い時だったかもしれない。
妻が一番だった舅はじょじょに生きる気力を失っていった。
たとえ家族に囲まれていたとしても。
奇しくも3年後、姑の命日11月17日に間質性肺炎を悪化させ舅も亡くなってしまった。
義父母の間には、子供は主人だけ孫は3人成人していた。
庭の仏花
今日は、咲いていた菊花をお仏壇にお供えし、庭で実った甘百目柿もお供えした、一番の供養になるという。
住職さまから読経していただいた。


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