生きることの本質
主人の亡き母(姑)は大正7年生まれで、生家は「呉服商」だった。主人が生まれるとまもなく、主人の父はビルマに出征したという。
母親と主人は、出征した父が敗戦後帰国する昭和23年までの7年間、母親の実家である呉服店に身を寄せていたという。
呉服屋は親族たちが商いを手伝い、さらに使用人や女中など大勢いたらしい。
3~4代ほど前にさかのぼるが女性経営者は、非常に腕の立つ人だったそう。
男性と違って、敏腕家の女性の楽しみといえば食べること位だったらしい。
「美味しいものが食べたいから働く」がモットーらしかった。
亡き姑も「美味しいものが食べたいから働く」と言っていた。主人も同じく「美味しいものが食べたいから働く」一貫して受け継がれている。その家系ならではの精神が根底にある。
その「美味しいもの」とは決して「豪華なものや高級な食べ物」とは限らない。
何も分からないまま嫁いだ若い私は、舅姑や主人に、教わり積み重ねつつ、長い年月を経て今日に至った
12日は朝市がたつ日。
主人は朝市の鮮魚店で特大の新鮮なスルメいかを2杯買ってきた。
私に「イカの切漬け」を作って欲しいという。
昨晩はひと手間かけ「いか」の下処理をした。
イカの皮を剥いたものを真水に浸す(寄生虫が居た場合のことを考えて)
その後、水気を拭き取り塩を振りラップをまいて一晩おく。
いかの肥えた肝は、スミを取り除きサッと洗い塩を塗りチルド室でひと晩ねかせる。
「イカの切漬け」はイカの細切りと肝をあえたもので、すぐに食べられる。
朝一番に「イカの細切り」と「イカの肝」をあえた。
イカの水分は抜け、細切りの身がトロッとしているところに、濃厚なイカの肝が絡み合い塩分少なめでとても美味しくできた。
美味しくつくる努力はするけれども、舌の上で味わいながら食べたりはしない私に「ゆっくりと味わいながら食べたら」と言ってくれる主人だけれども、家族を賄う私の立ち位置からして、そのような価値観は生まれなかった。
舌が喜ぶことは、身体が喜ぶこと、身体が喜ぶことは免疫力がアップすること、好循環が生まれるのでしょう。
お陰さまで、検査の結果は良くて「よい年が越せそうですね」と主治医の先生はおっしゃってくださる。
わたしは余生だもの、好きは好きと正直に貫けたらいいなぁ~と、主人の姿をみてふと感じた。
(2020.12.13 8:45 記す)