薪ストーブとスローな暮らし
「スローライフ」とは「人生をゆったり楽しもう」という考え方だそう。
物資のない時代に生まれ育った私は、高度成長期はとても眩しいものだった。
私も違わず金銭至上主義、唯物論者だったとその頃を振り返る。
主人は、私と違ってそんなことにどれほどの価値観はなかったように記憶している、それよりも一度の人生を心のまゝに生きたいようだった。
その当時の人気俳優 柳生 博さんは、役者人生に疑問を抱かれ、ご家族とともに八ヶ岳を望む一角を開墾し、雑木を植え育て、見事な「雑木林」を作り上げられたのだった。
その後ご家族で移り住まれたことを鮮明に覚えている。
うちの人は、その柳生さんの生き方に、その頃少なからずも共感していたことも覚えている。
そして、その当時親子で見ていたアメリカ映画「大草原の小さな家」。
薪ストーブのある暮らしを始めて20数年の歳月が流れた。
その間、二人の娘は嫁ぎ、息子は結婚し孫に恵まれ現在に至っている。
同居の息子夫婦は日々仕事に追われている。
私たちは留守を守りながら、スローな暮らし方をちょっぴり試みてきた。
「人生をゆったり楽しもう」という「スローライフ」には「肉体労働」はつきもの、あらゆる作業に身体と時間をつかう。
実際にその生活をやってみないと分からないもの。
それも折り込み済で、うちの人は「薪ストーブ」にかかわる労作を20数年にわたって続けてきた。
薪ストーブのある暮らしに憧れて、新居を手に入れ「薪ストーブ」生活を始めた若い世代の方は、その暮らしが大変手間暇かかることに挫折するケースは多いと聞く。
現実的にはそんなに生易しいものではない。
私たちの亡き後も、実はどうなるかわからない。
息子たちは息子たちの価値観で生きていくことだろう。
生まれたときから、薪のある暮らしを見続けてきた孫たちにとっては、メンタル的な要素のある「薪ストーブ」には、ずいぶん癒されてきたことだろう。
孫たちは外出を好まない、家が一番好きらしい。コロナで外出規制があっても全く苦にはならない。
薪を焚べることがうまくなった高校生の孫息子、薪ストーブの前の椅子に腰をかけ、炎をじっと眺めていた。
おじいちゃん(うちの人)がその孫息子に何やら話しかけていた。
高校生の孫息子の横顔がほころんだ。
私の体の奥深く刻み込まれた、微笑ましい一瞬のこころの風景だった。