命には限りがあることを悟る
県内に住んでいた87歳の叔父が癌で亡くなったと、近くに住む実家の弟から連絡があったのは8月20日だった。
叔父夫婦には子供がいなかった。
四十九日法要がすんだところ、突然私たち甥や姪4人に遺産相続権があるという、降ってわいたような話がもちあがった。
話し合って4人とも遺産放棄を申し出た。
旅行疲れが残っていたが、印鑑証明、戸籍抄本をもらいに市役所まで。
遺産放棄同意書に署名捺印し書類を整え親戚筋に送付させてもらった。
手続きがすみ、ほっと安堵した。
残された叔母さんが、安穏な余生を送られることを心から願った。
先日の旅行先、温海川の遊歩道から、遡上してきた鮭の魚影が見えた。
河口から上流に遡上した鮭の色は白身を帯び、お腹には婚姻色が出ている。
迷ってこの川を遡上してくる鮭は今年は多いらしい。
メス鮭は産卵場所を定め、尾びれで激しく川底を叩きつけ窪地を作っている様子が遊歩道からうかがえた。
水面は揺れているがオス鮭の姿は確認できなかった。
産卵を終えると鮭は命果てる。
時季なんですね、当市を流れる川の上流で「サケ一括採捕が始まった」と今日の地元新聞に掲載されていた。
漁協では、10月25日から11月末までの30日間、サケの一括採捕を行い、春には120万匹の稚魚を放流するという。
生きとし生けるものには、命のバトンタッチがあり、命に限りがあることをあらためて悟った。
それは主人にも私にも同じく。
(2020.10.25 10:05 記す)