義母の味には到底及ばない
生前 義母(姑)は、お正月が近くなるとクルミを割り、千枚ドウシで殻から実ほじって出し「くるみなます」を作る準備を始めたものだった。
義母(姑)はもちろんのこと義父(舅)も大好物のようだった。
しかし、食生活の変化で「くるみなます」は、いまの若い人たちは好まないお料理。
知人が、屋敷内の「クルミの木」の下に完熟した実が、たくさん落ちていたからと、手間をかけ「ほじったクルミの実」を私に下さった。
そのいただいた「くるみ」を使って、姑が亡くなって以来殆ど食べてはいない「くるみなます」を作ってみたいと思い立ち、私は使う食材を揃えた。
ただこの「くるみなます」を誰が食べてくれるのだろうかと、考えるとちょっと躊躇した。
肝心の主人は好まないし、好物だといっていたのは遠方に嫁いだ長女くらい。
でも、私は「くるみ」をいただいたとき、美味しかったあの当時の「くるみなます」を作りたいと、ひそかに思っていた。
義母が亡くなって、あっという間に二十数年の歳月が流れた。
「くるみなます」を作っていた義母と交わした、その当日の会話がよみがえってきた。
ふと故人の魂は残っているものなんだと実感した。
食材は クルミ おろし大根 はすね 干椎茸 きくらげ ゆず 酢 砂糖 塩 など 食材の割合、味つけ、手順など当然コツがあったことだった。
私は手間をかけ「くるみなます」を作ってみたが、義母が作ってくれた美味しい味にはならなかった。