「河骨」の株分けで思い出すたくさんのこと
友人が、フリーデザイナY子さんを紹介してくれたのは20余年も前のことだった。
そのY子さんは、田舎に住むことが大好きだった。
平成の市町村大合併があったときに、私は住んでいるこの村が大好き、ぜひ村として残って欲しいと話していたことを思い出す。
彼女の思いがかなった、他の市町村と合併しないことを英断され、村長はこのまま村として存続してゆくことを選択された。
フリーデザイナーのY子さんは、そのことをとても喜んでいた。
そのY子さんさんから、20年余り前に「河骨」をいただいた。
それ以来初めて今年株分けした「河骨」です。
梅雨から夏にかけ黄色い3センチほどのお花の咲く水生植物を、わたしはその時はじめて知った。
ハゼの木の下に、寸胴の年代物の甕を埋めて水生植物を育てるつもりで用意していた。
それをご覧になった彼女は私に「河骨」をプレゼントしてくれたものだった。
彼女の住む裏山から流れ出る湧き水のきれいな庭の池にでも生えていたのでしょう。
根茎が「骨」のようだから「河骨」と呼ぶことを彼女は教えてくれた。
河骨は川骨(せんこつ)ともいわれ漢方薬の生薬の一つだそう。
いまでは絶滅危惧種になっているらしい。
その後一度も株分けをしないまま甕の中で育てていた。
手を入れ探ってみると、根はとぐろ状になっていて、どこから手をつけたら良いか分からずに時は流れていった。
庭の生前整理のつもりで、一つ一つ解決してゆく気になり始めていた今年だった。
年代物の甕や火鉢に株分けして育て始めている。
実はY子さんは、私が癌治療で入院中に末期がんで亡くなっていたことを、私が退院して元気になったころを見計らって知人がそっと教えてくれた。
様々な作品を残して彼女はあっけなくこの世を去ってしまった。
Y子さんから「河骨」はもちろん様々なご好意をいただいた。
今年こそ植え替えをと数日かけて頑張った。
もちろん作業のハードなところは主人、ソフトなところは私、さらに次女も応援してくれた。
お陰様で10数株に株分けできた。
年代物の甕や火鉢に株分けした「河骨」が元気に育ち、黄色いお花が咲くことを心待ちに毎日観察している。
(2021.07.11 日曜日 11:49 記す) コメント欄は下記にございます。