表日本と裏日本という時代があった
もうすっかり忘れかけていたが「表日本と裏日本」と表現する時代があった。
裏日本とは日本海側こと、表日本とは太平洋側のことで、表と裏では時代遅れの違いがあった。
その違いの一例は、東京で流行していたフアッションは一年遅れで裏日本にやってきた。
日本の表側と裏側とよばれる国土の様々な不便や不平等の解決を試みたのは、新潟県出身の総理大臣 田中角栄の日本列島改造論によるものだった。
越後山脈に長いトンネルが貫通し裏日本の新潟県は大きく変わった。新幹線で「東京新潟間」を日帰り往復できるようになり、高速道路も出来た。
いまや政治や社会、経済の情報がネットで瞬時に入る時代になった。
情報社会に翻弄される。
いままた首都圏と地方の格差が拡大しているようだ。
どのような生き方がよいのだろうかと高齢ながら考える。
雪の菜園に出てみる。
「ステックブロッコリーセニョリータ」が雪の中、元気に育っていた。
春に植えたピーマンやパブリカが雪の中にまだある。
雪の中の玉ねぎ
プチヴェールも良く育っている
菜園は主人の担当、収穫は私。
幸せの価値観はそれぞれだけれども、植物育ては癒される。
裏日本表日本と呼んでいた時代、のどかな時間が流れていた、懐かしい。
時代は大きく変化のときを迎えているように感じるが、根源的には人の心は変わりはしない。
(2020.12.21 11:09 記す)