余生に憂える
これが余生なんだなぁ~とかんじた。
例年ホームセンターで春30匹ほどのメダカを買ってきて、それぞれ水を張った甕に「ホテイアオイ」と「メダカ数匹」ずつ入れる。
しかし庭で越冬できなかったメダカは、春には、ほとんどいなくなっている。
昨秋、連れ合いがビオトープを金網で囲ってくれた。
雪が消えると20匹近くのメダカが生き残っていた。
今月初めのぞいたところ、黄色のつぶつぶした卵をお腹に抱えていたメダカがたくさんいた。
私は一年草の「ホテイアオイ」を買って、抱卵しているメダカが棲んでいるビオトープに入れてあげた。
メダカはすぐに「ホテイアオイの根」に産卵をした。
メダカの卵が付いた「ホテイアオイ」を、稚魚専用の小さなビオトープに移したところ、メダカの稚魚がすいすい泳いでいる姿が、確認された。
余生とは余裕時間に新しいことに挑戦できる。
世の中は複雑で混沌としているが、私の余生は自然の中に立ち返って暮らす。
私は両親に「故事ことわざ」で育てられたといっても過言ではない。
それら先人たちが、幾多の経験や体験に基づいて残してくれた「故事ことわざ」を、今こそ是非もう一度思い出したい。
「余生」の時間を、友人たちと政治のこと、経済のこと、社会問題などについて語る機会が多い、私たちのことより孫の時代のことが心配だわと異口同音に憂えているが。
(2021.06.27 日曜日 09:18 記す)