釣った魚に餌はやらない
今日は私のめでたい喜寿77才の誕生日。
息子から3時の差し入れ。
ランチは、マル夫さんと創業100年の「小嶋やのへぎ蕎麦」を食べてきた。
道すがら、今日は私の誕生日だけれどもプレゼントはないのと尋ねた。
すかさず、俺はプレゼントをもらったことがないと言う。
私は古い人間、ご主人様から養ってもらっていると思っていたので、感謝の気持ちを形にして、あれだけ毎年、せっせと今年こそは気に入ってくれるかしらと、マル夫さんの誕生日に様々なものを贈っていたのに。
私の好意をよろこんでくれたことはなかった。
形式的なことは好きでないタイプなんだと、知った時からプレゼントをやめようと思った。
そういえば婚約指輪さえもらっていなかった。
お蕎麦を食べた後、地場産業振興センターに二人で行った。
燕三条製品「雪平鍋」をプレゼントするという。(単にお金を支払ってくれただけだった)
私にプレゼントという品ではないと、腑に落ちなかったが、いつものことだから何でもよいと割り切った。
もうどうでもよい年齢と結婚生活の長さ。
悟りの境地になっている。
私は㐂寿にあやかって歓びを分かち合いたいと思いたち、大粒の🍓を家族におすそ分けすることに。
長い間交友関係が続いている友人からラインに電話があった。
夕食を食べに行かない?
ちょっと暗い声だった。
今日、私の㐂寿77才の誕生日なのよと話した。
私がご馳走してあげるから出てこれるという。
まん防だけれども、ゆったりしたところだからいいわよねと友人。
私は今までどちらかと言えば聞き役に徹してきた。
友人は、大きな家屋敷に住み、何不自由ない暮らしぶりに見えるけれども悩みは尽きないよう。
生きている限り、いずこも大なり小なり何かあるもの。
(2022.01.22 土曜日 16:15 記す)