「終活旅行」は「総括旅行」
由良「八乙女」は波打ち際に建つ一軒宿だった。
潮騒の音が部屋まで聞こえる。
八乙女のことは、宿のポスターで「全国渚百選に選ばれた宿」「東北の江の島」であることを知った。
屋上露天風呂でみる日本海の夕景色がとても美しかった。
夫婦二人きりで久しぶりの差し向かいで夕食を楽しんだ。
以前わたしは、毎晩主人にお酌をしてあげたものだったが、人生いろいろ乗り越えてきたこの年齢この時代、もうそんな余裕などないし、照れくさくてその気になれない。
私たちは50余年前、金融機関で知りあい職場結婚した。
主人の人生論は、人生には紆余曲折があること、難問難題があり、そのことを乗り越えるることに価値観を持っていた。
いまの時代には、たぶんそぐわないむかし男性の考え方「男には男の世界があり、女には女の世界がある」と折に触れ言っていた主人。
転職することは珍しい30数年前の平成元年、金融機関の中間管理職にあり一匹狼を自認していた主人は、窓際族になりサラリーマン人生が終わることに、耐えられなかった。
私は相談を受けた記憶がない、主人は47歳のとき転職をきめた。
ある企業の別会社の役員に迎えられた。
主人は「三方よし」の精神で仕事に熱意を傾けた。
そしてお客様から大変な信頼をいただき、業績のよい会社に育てあげた。
その会社を67歳で役員退職。
退職後、個人事業主として仕事をさせて頂くこととなり、信頼してついてきてくださる有難いお客様のお陰で、現在もなお引き続き呆けない程度に、いまの菅政権が掲げている、いわゆる「自助」をしている。
4日間、500キロのドライブしながら旅を堪能したこの人をみて「体力」「気力」に「余力」が残っていることに、わたしは始めて気づいた。
途中ゆっくり「カフェで休憩したい」といっても、主人にはそのような価値観はない。
旅行でのんびりといっても私はとても疲れる。
昨年の今頃は、抗がん剤で体力が著しく低下していたが、食への意欲は並ではなかった。
車を運転して東北までドライブできる日を迎えられるとは、夢にも思わなかった、本当にありがたい。
2年前に癌を患い、癌とともに共生している主人、癌を患いながらいきる、死生観とは違う生きざまをみる。
連れ添った50余年で知った「器」と違う「余力」の大きさに、私はようやく気づいた。
そのことに気づいたわたしは、余生は主人のあるがままを受けとめて夫婦をやってゆく静かな覚悟がついた。
差し向かいで食事をしながら、わたしは「終活旅行」は「総括旅行」だったわねぇ~とはなす。
「余力」の大きい主人と縁あった人生の意義、良きことも、悪しきこともすべては私に与えられた運命。
「充実した人生を送っている」と本人(主人)は常に言う。
来し方の人生を思い出しながら私は話す、にやにやしながら耳を傾けていた。
(2020.10.23 15:56 記す)