ボランティアを終えて椿寿荘まで
代々続く家系のお宅は200坪、300坪のお屋敷に、家とお庭のあるおうちはたくさんある。
今日、お邪魔させていただいたお客様のところは、お聞きしたところ300坪ほどあり、とても広いお宅だった。
古木の様々な樹木が生えていた。
冬囲いを、いつもシルバー人材センターにお願いしていたけれども、高齢化による人手不足で断られたという。
造園業者と午前中にお客様のお宅にお伺いする。
冬囲いをさせていただく造園業者に見積を出していただく予定。
その後、私は田上の「椿寿荘」を拝見してきました。
重厚な屋根が見ごたえありました。
大正年間、500町歩以上の日本の大地主の半数は新潟県にあったそう。
幕末には1000町歩以上の農地を持っている豪農は、県内に五邸あったといわれるなか、田上には本田巻家、原田巻家がその中に数えられていたそうです。
江戸後期から昭和初期にかけて栄えた大地主だったそうです。
椿寿荘は本田巻邸の離れ座敷として作られたと伝えられています。
日本各地から海運で運ばれた銘木を、ふんだんに使っている離れ座敷は、富山・井波の名工宮大工が造作した三年数カ月に及ぶ力作だそうです。
重厚な寺院建築は釘一本使われていないという。
建物を支えている珍しい土台を見つけました。
新潟平野には、千町歩以上を持つ豪農は、市島邸、伊藤邸、田巻邸、斎藤邸、白勢邸の五邸あったといわれています。
私は、若いころマル夫さんとドライブで行った全国的にも有名な豪農伊藤邸と娘時代にお茶会に訪れた市島邸だけは邸内を拝見したことがあります。
新潟平野の豪農巡りは興味のある方にはおすすめです。
(2021.11.07 日曜日 06:43 記す)