日記・今日の出来事
土・日曜日は比較的自由時間がある。
整形外科でストレッチ、筋力トレーニングを終えた。
その後、同期入社した友人E子さんのご主人が、昨年11月に亡くなられたと聞いていたので、お仏壇にお参りさせていただいた。
50年余り前、勤めていた銀行は若い方たちの多い職場で活気に満ちていた。
結婚前の若い女性だけいる職場は華やいでいた、茶道教室、花道教室など花嫁修業のクラブがあった。
市外の有名な○○邸へ振袖姿でお茶会に出かけたり、様々な催し物や行事や、職員旅行は楽しかった。
適齢期になると職場では、若いカップルがつぎつぎ誕生し、結婚ラッシュに沸いた。
昭和41年~44年にかけてが一番多かったようだった。
お参りさせていただいたM子さんたちも職場結婚だった。
お見合いするか、でなければ職場結婚か、、取引先の社長さんに見初められ縁づいた方も中にはいた。
仕事が終わるとカップルは喫茶店で待ち合わせしていたので、どなたとどなたがカップルになったか評判になったものだった。
そのころの女性は結婚相手に求めていたものは「家付き、カー(車)付き、婆ぬき」という条件だった。
結局は次男を選ぶ人が多かった。
それぞれに相手を見つけて結婚していった。
結婚すると寿退社になった。
いまと違って本当に狭い範囲で結婚相手を見つけ50余年を連れ添う・・縁以外の何物でもない。
マル夫さんは、東京の大学を卒業し、私と同じ支店に勤務になった。
地方にも、こんなに色白の綺麗な人がいたもの一目惚れをしたと赤い顔で告白された。
私はサラリーマン家庭に育ちお花好きな目立たない娘だった。
何故か社会人になると様々な男性から声がかかった。
貴女は僕にとって初恋の人、お付き合いしてくださいとも言ってくれた人もいた。
私にも好みがあった背が高くて誠実な人がタイプだった。
私を好いてくれた彼は、頻繁にデートに誘い猛アタックしてくれたが、好みのタイプでなかったので私はいつも冷静にお断りしていた。
適齢期になっていた私に母はせかせる。
望まれていく方が幸せだよと私の背中を押してくれた縁だった。
そんな結婚だったのに「釣った魚には餌はやらない」タイプの彼、マメ夫ではなくマル夫さん。(私に対してはマメでなかったのでマル夫に改名)
いまにしてみたらロマンチックな恋をしたことがなかった、人生の心残りかな。
お参りさせていただいた帰り道、私の脳裏に焼き付いていたことが走馬灯のように思い出された。
静かで店内の空気が澄んでいるあんみつカフェで久しぶりにゆっくり一人で憩う。
中性脂肪が高いけれども疲れていた、甘いものの誘惑に負けてしまった。
その足で「モワチェ・モワチェ」さんでイタリア・ヴェネト州産生ハム「コッパ」と「ブルーチーズ」を買った。
F子さんのお嬢さんが始めたお店、F子さんも職場の同期だった。
昼ご飯は抜いた。
帰るとマル夫さんが「どこに行ってきたネ」と話しかけてきた。
それぞれ話す。
秋野菜を植えてもいいように畑を耕しておいたよ、そうありがとう。
昨日の疲れはまだ抜けない、来週に備えて明日こそ体調を整えなければ。
(2021.9.11 土曜日 19:47記す)