村上市塩谷は北前船の寄港地
国道345線を北上し、新潟県の荒川の最下流旭橋を渡り左折をすると浜通りにでた。
切り妻づくりの町なみが突如現れた、主人はいぜんから一度は訪れてみたいところの一つだったそう。
そこは江戸時代北前船の寄港地だったという荒川河口に位置する「村上市塩谷」だった。
「ベニガラ塗りのささら戸」が美しい町なみ。
軒並みに家の目印「家印」がついていた、北前船から見えるようにだそう。
ほとんど人影は見当たらなかったが、きれいな状態で町なみが保存されていた。
この建造物は貴重な国民的財産ですと「登録有形文化財」に指定されている建物が、何か所かあった。
江戸時代から味噌や醤油の醸造が盛んな地区だったらしい。
醤油樽に「蕎麦のやません」と張り紙が、近くに週末だけ開店する蕎麦やがあるらしい。
北前船(帆掛け船)は江戸中期から明治30年ころにかけて、大阪から北海道まで日本海沿岸部に数多くの寄港地があり、積み荷商品を売ったり、新たに仕入れたりしながら航海していたという。
北前船は「船の総合商社」であると書かれてあったが、それはとても分かりやすいたとえだ。
北前船の寄港地は有名な酒田市や新潟市以外はほとんど知らなかったが、終活旅行で新たな北前船の寄港地を知った。
(2020.11.04 8:39 記す)